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サロン起業に至った原点と想い

ハイサイ!  

沖縄生まれ、沖縄育ち サロン代表の松田です!

今回は、美腸専門サロンYRoots(ルーツ)がなぜ誕生したのかについてお話ししていきたいと思います。

そもそも・・

なぜ雇われではなく、起業なのか?

別に独立しないで、雇われでもいいのでは?

独立すると経済的にも不安定になるし、成功するとは限りません。

大事な家族を守れる保証もありません。

両親にサロンを起業したいと伝えると、反対されました。

身近な人からも、賛否両論ありました。

  • 成功する根拠は?
  • 本当に家族を養えるのか?
  • そもそも、そんなに実力はあるのか?
  • 失敗したらどうするの?

ただ、ひたすら

悩んで、自問自答しました。

家族とも話し合いました。

何度も・・

何度も・・

私が出した答えは

「自分と向き合う」きっかけとなる場所を創りたい

でした。

その想いの原点は

今まで歩んできた私の人生にあります。

正直、あまり向き合いたくない暗い過去もあります。

でも・・

この経験をしてきたからこそ

「私にしかできない」ことがあります。

幼少期 時代

私は幼い頃から体が弱く、よく体調を崩しては学校を休んだり、病院を受診することが頻回にありました。

いじめられていたこともあり、泣き虫だった私は、両親にとても心配をかけたと思います。

そんな弱い自分が嫌で・・

子どもながらテレビや本を見ては、体質を変えるために筋トレやサプリメントなど、色々と試していたことを覚えています。

青年期 時代

高校生の頃

母に乳癌が見つかり手術・抗ガン治療が開始。

治療による副作用で髪は抜け落ち、体調が優れない母を見るのは本当につらかったです。

母は癌との戦いに勝ち、無事に乗り越えることができました。

家族を襲った突然の病に、自分がしっかりして家族を支えないといけないと強く想うようになりました。

また、部活で両足疲労骨折したことをきっかけにリハビリの仕事を知り、医療分野での仕事に就きたいと決意。

始めは理学療法士を目指していたのですが、オープンキャンパスで出会った作業療法士に惹かれ、次第に作業療法士を目指すようになりました。

専門学生の頃

リハビリ専門学校(作業療法学科)へ無事入学でき、勉強の日々が始まりました。

しかし、虚弱体質は相変わらずで、日々の勉強量の多さから生活習慣は乱れ、体調不良は絶頂期を迎えます。

ほぼ毎日食後は胃もたれや胸やけがあり・・

慢性的な肩こりや頭痛に苦しみ・・

すぐに風邪をひいては寝込み・・

便秘や不眠は当たり前・・

肌や唇は荒れ・・

頭がぼーっとして思考力も低下し、情緒不安定で気が狂いそうでした。

様々な病院を受診しても原因は分からず、栄養ドリンクや薬でごまかすような日々が続き・・

この頃は本当につらく、何度も夢をあきらめそうになりましたが、家族や仲間をはじめ周囲の人々に支えられ無事に学校を卒業し作業療法士となることができました。

病院勤務 時代

病院へ就職してからも、虚弱体質は継続しており体調不良で仕事を休むことが多々ありました。

頑張りたいという気持ちとは裏腹に体はついてこない。一緒に夜更かしやお酒を飲んだはずなのに自分だけが毎回体調を崩す。

「何で俺だけ・・」

仕事もプライベートもいかに体調を崩さないようにするか人一倍気を使って過ごす毎日でした。

また、当時同棲していた彼女(現在は妻)が「うつ病」になり、仕事をしばらく休むことになりました。

将来も考えていた矢先だった為、このタイミングでよいのだろうかと悩みながらも、彼女を支えたいという一心でプロポーズすると

彼女は受け入れてくれました。

仕事をしながら、妻のサポートをしていく毎日の中で、経済的な問題にも頭を抱えていき・・

疲労がピークを迎えたある日、受診した病院で胃腸に複数のポリープを発見。

約2か月間、服薬やおかゆ生活で体重は40㎏台まで落ち、過去最高の貧弱ボディーになりました(笑)

病気をきっかけに気づいたこと

自分の体調一つ満足に整えることができない情けなさと、大切な妻が「うつ病」で苦しむ中どうしたらいいのか分からない歯がゆさから、体質について猛勉強するようになりました。

ある方法に対して「良い」という意見もあれば「悪い」という意見もあり、勉強していけばいくほど様々な情報に振り回され何が正しいのか分からなくなる時期もありました。

でも、それは当たり前の話で「本質」を理解していなかったことが原因だったのです。

本質とは何か?それは・・

体の状態をしっかり評価・分析した上で、最適な手段を選択する

ということです。

解剖・生理学の視点をベースに、自分の体としっかり向き合う時間をつくり、その時々の状態に合った最適な手段を選択し、実践していくうちに体調が次第に整っていくのを実感しました。

妻も一緒に実践していくうちに、うつ病も軽快へと向かいました。

それと同時に、患者の健康状態からしっかりとコンディションを整えていくことの重要性を感じました。

8年間 患者と向き合って感じたこと

私は作業療法士として働く中で、脳血管疾患などで病前生活まで回復することが困難で苦しむ患者をたくさん見てきました。

機能面の回復には限界があり、環境調整や代償動作での日常生活動作獲得などは、生活していく上で大事な支援だと日々感じています。

「この手を前と同じ、元通りに治して欲しい」

「この手足が治れば、生活ができるようになるのに」

ある重度麻痺患者から言われた言葉です。当時、私はどう答えていいか分かりませんでした。

以前と同じように回復したいという想いも痛いほど伝わってくるし・・

でも、生活動作の獲得も必要で代償手段も練習しないといけない・・

機能面へのアプローチも重要だけど、そこに固執させてしまってはいけない・・

本当に悩みました。

麻痺が治ったことで、どの作業ができるようになりたいのか?

なぜその作業なのか?

その作業がこの人にとってどのような意味があるのか?

麻痺がある状態でもできる方法はないか?

患者と一緒にできることを模索しました。

しかし、何度話し合っても最終的には「以前と同じ体の状態に回復したい」という言葉に戻ってくるのでした。

「まずは今の状態でもできることを一緒に探しましょう。もちろん機能回復へのアプローチも続けながら」

この言葉が、当時の私が出した精一杯の答えでした。

その人の今までの生活歴を大切にしながらも、「できること」「できないこと」を一緒に向き合い、悩みながら、現実的な目標を定めていく。

疾患のみでなく、その人らしさにフォーカスしながら機能・活動・社会参加や環境などの全体像を捉え、強みを活かし、アプローチへと展開していく。

機能に固執せず、その人にとって「意味のある作業」によって救われることが多いのは事実です。

だけど・・

そもそも論だけど・・

もしこの病気にさえなっていなければ、どんな人生を送っていたのだろうか?

そう、想うわけです

病気を予防できていたら・・

自分自身や家族の病気を経験し

患者と向き合っていく中で

「運動・食事・休養」などの生活習慣の乱れや環境からくるストレスに対し、その人に合った最適な手段で、いかにケアしていくことが大切であることを実感しました。

そして・・

体質改善に特化したサービスである

美腸専門サロンYRoots(ルーツ)を起業するに至りました。

今後の展望について

沖縄県の都道府県別平均寿命

✔ 男性36位、女性7位(2015年)
✔ かつては男女ともに1位(1985年)

沖縄県保健医療健康長寿課より抜粋

このデータを見てどう思いますか?

人によって様々ですが、私は危機感を感じました。

なぜなら、行政が警報を鳴らしているにも関わらず、この情報を知っている人が少ないし、何となく知っている人もいますが、生活習慣を変えるという行動までつながっている人はどれだけいるのでしょうか。

少し体調が悪いからといってすぐに病院へ行く人は少ないと思います。

「まさか、こんなこと(病気)になるとは思わなかった」

「少し体調が悪いだけだったから、我慢していた」

「忙しくて自分の体は後回しだった」

「もっと早く病院へ行けばよかった」

病院勤務時代、患者からよく聞いた言葉です。

私や家族も病気を経験したからこそ・・

「健康」は、当たり前ではなく・・

どれ程幸せで、ありがたいことなのかを身をもって知っています。

当サロンが皆様にとって

「自分と向き合う」きっかけとなる場所

となるよう努めていきたいと思います。

最後に

私の知識・技術は発展途上で、常にアップデートを繰り返しています。

また、この道に完成はなく常に「未完成」であると考えています。

医学は日々進歩しており、

その時常識だった根拠が、ひっくり返されることもあるでしょう。

常に最新の知識、技術をアップデートし、その時々で私が持っている最大限の知識と技術をもって最適な方法を提供する。

これが唯一「私にできること」です。

皆様に支えて頂きながら、私にできる精一杯の社会貢献をしていきますので、今後とも末永くよろしくお願い致します。

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